日本三大火祭


日本三大火祭

火祭は、闇夜に轟々と灯る松明やかがり火の炎が印象的な神事です。全国にたくさんありますが、ここでは伝統的な久留米の「大善寺玉垂宮の鬼夜」、福島の「松明あかし」、太宰府の「鬼すべ神事」を「日本三大火祭」としてご紹介します。

なお、外してしまいましたが捨てがたい火祭を、次項の「日本三大火祭の異説」の中でご紹介しますので、合わせてご覧ください。

大善寺玉垂宮の鬼夜(だいぜんじたまたれぐうのおによ)

古式にのっとり、大松明を引き廻す
古式にのっとり、大松明を引き廻す

久留米の大善寺玉垂宮では、大晦日から正月7日まで神事「鬼会(おにえ)」が行われます。神官が斎戒沐浴して燧石(ひうちいし)でとった御神火(鬼火)を護り天下泰平、五穀豊穣、家内安全、災難消除を祈願する神事です。その最終日が、国指定重要無形民俗文化財となっている「大善寺玉垂宮の鬼夜」です。

見どころは、夜の行事を飾る「大松明廻し」。直径約1メートル、長さ約13メートル、重さ約1.2トンの「日本一」といわれる大松明6本を、数百人の氏子若衆が「カリマタ」で支えて、境内を廻ります。闇夜の中、紅蓮の炎を上げて燃え上がる光景は、圧巻。その火の粉がかかると無病息災といわれ、家内安全、災難消除、開運招福を祈願される多くの人々で賑わいます。
有料の桟敷スタンド(全席自由)があり玉垂宮社務所で販売されます。お問合せは以下の玉垂宮へ。

この行事は約1600年前の仁徳天皇の時代、人民を苦しめていた賊徒を松明の光で探し出し、討ち取って焼いたことに始まると伝えられています。


【大善寺玉垂宮の鬼夜データ】
会期と会場
1/7
大善寺玉垂宮
問い合わせ先
大善寺玉垂宮 福岡県久留米市大善寺町宮本1463
大善寺玉垂宮の鬼夜(久留米観光コンベンション国際交流協会)


松明あかし(たいまつあかし)

10mの高さがある大松明への点火
10mの高さがある大松明への点火

須賀川で毎年11月に開催される「松明あかし」は、400年以上の歴史を誇る火祭りです。
勇壮な松明太鼓が鳴り響くなか、高さ10m、直径2メートル、重さ3トンの大松明30本と、須賀川城に見立てた仕掛け松明を五老山山頂に立て、点火させます。赤々と燃え上がる炎は、まさに壮観の一言。また町では小松明行列なども練り歩きます。

祭は、戦国時代の天正年間(16世紀)、多くの戦死者を出して須賀川城が落城した後、死者を慰めるために人々の間で始まったと伝えられています。新しい領主の目をはばかり、ムジナ(タヌキ)狩りと称して、現在まで続けられてきました。

五老山へ運び込まれる大松明の行列が松明あかしの見所のひとつです。
「大松明」のほかに「本松明」や、女性のみで担ぐ「姫松明」なども人力で運ばれます。大人だけでなく地元の中学生や高校生を含め総勢500名以上によって会場である五老山山頂までの距離約1キロを人力で担いで運びます。大松明は、男性が150人がかりで担ぎますが、担ぎ手全員が一致団結して御神輿のように担ぎ棒でかつぎ運ぶ姿は迫力満点です。


【松明あかしデータ】
会期と会場
11月第2土曜日
五老山、須賀川市市街地
問い合わせ先
松明あかし(須賀川市松明あかし実行委員会)

鬼すべ神事(おにすべしんじ)

鬼退治の行事である「鬼すべ神事」
鬼退治の行事である「鬼すべ神事」

太宰府天満宮で毎年1月7日に行われる「鬼すべ神事」は、その年の災難消除や開運招福を願い、境内の東神苑にある鬼すべ堂にて行われる勇壮な火祭りです。およそ300人が鬼を退治する「燻手(すべて)」と鬼を守る「鬼警固」、「鬼係」に分かれ、炎の攻防戦を繰り広げます。

鬼すべ堂前に積まれた松葉や藁に大松明で火がつけられると、一瞬にして炎と煙が夜空を焦がし、攻防戦の始まりです。最終的には、堂内では神職が、堂外では氏子会長が、鬼に向かって煎り豆を投げ、卯杖で打ち、鬼を退治します。燃え残った板壁は火除けのお守りとしての信仰があり、持ち帰って玄関先にお祀りする風習があります。
天満宮の北東にある「鬼すべ堂」で最後の攻防戦は21時頃から行われますが、「鬼すべ神事」に参加する氏子の皆さんが天満宮に参拝し、御神火(ごしんか)をいただくなどの神事が拝殿で行われるのは夕方からとなっています。

この神事は、菅原道真公の曾孫である輔正(すけまさ)によって平安時代の寛政年間(10世紀)に始められたと伝えられています。福岡県指定重要無形民俗文化財です。


【鬼すべ神事データ】
会期と会場
1/7
太宰府天満宮 鬼すべ堂
問い合わせ先
太宰府天満宮 福岡県太宰府市宰府4-7-1
鬼すべ神事(太宰府観光協会)