日本三大奇祭の異説 その1


日本三大奇祭の異説 その1

前項では「日本三大奇祭」として、「なまはげ柴灯祭」「御柱祭」「吉田の火祭」をご紹介しました。しかし、まだまだ全国には独特な「奇祭」がありますので、異説としてご紹介します。

島田大祭 帯祭(しまだたいさい おびまつり)

帯を太刀に提げた奴(やっこ)の行列
帯を太刀に提げた奴(やっこ)の行列

「島田大祭 帯祭」は、3年に一度行われる大井神社の大祭です。「奇祭」と呼ばれる由縁は、大奴(おおやっこ)が安産祈願の丸帯を提げた太刀を両脇に差し、蛇の目傘を差しながら踊るように練り歩く、独特の行事から。この所作は現在まで厳密に伝承されており、静岡県無形文化財に指定されています。その他にも、鹿島踊りや神輿渡御、屋台踊りなど見どころがたくさんあります。

祭の起源は江戸時代の元禄年間(17世紀)。当時島田では嫁入りの際に丸帯を持って町中を挨拶回りする風習があったそうです。それが大井神社の神輿渡御の際に、大奴の太刀に下げて披露するようになり、さらには帯業者たちが流行の見極めに見学に集まるようになって、どんどん豪華になっていったそうです。

【島田大祭(大井神社大祭)帯祭データ】
会期と会場
10月体育の日頃の3日間 ※3年毎(令和元年は、10月12~14日)
大井神社(屋台踊りや鹿島踊り・神輿渡御は島田市街地を巡行)
問い合わせ先
大井神社 静岡県島田市大井町2316


西大寺会陽はだか祭り(さいだいじえようはだかまつり)

深夜に宝木を群衆が奪い合う「裸祭」
深夜に宝木を群衆が奪い合う「裸祭」

国の重要無形民俗文化財に指定されており、全国的に有名な西大寺会陽(はだか祭り)。
厳冬の深夜、西大寺観音院の本堂 御福窓(ごふくまど)から投下される2本の宝木(しんぎ)をめぐって、約10,000人のまわしを締めた裸の男たちが激しい争奪戦を繰り広げます。その様子は、圧巻で勇壮そのもの。この宝木を取った者は、福男と呼ばれ、福が得られると言われています。
また、会陽の夜には花火が打ち上げられ、あと祭りも約2週間にわたり開かれます。向州公園から境内にかけて、屋台や露店、植木市が並び、人々で賑わいます。

男性に限りますが、衣服を脱いで、まわし姿になって境内に入れば誰でも参加できます。ただし、お酒を飲んでいる人、入れ墨をした人、座敷用の足袋以外の履物を履いている人は参加できません。当日飛び入り参加も可能ですが、安全のため、事前に観音院又は会陽奉賛会への参加申し込みをして下さい。

まさに「奇祭」と言えますが、その始まりは室町時代の永正年間(16世紀)。寺で配っていた御符が大変評判となって人々が殺到したため、やむなく頭上に投げたところ、人々が奪い合い、さらに押し合いへし合いとなったときに動きやすいようにと裸となったと伝えられています。


【西大寺会陽はだか祭データ】
会期と会場
2月の第3土曜日
西大寺
問い合わせ先
西大寺 岡山県岡山市東区西大寺中3-8-8
西大寺会陽奉賛会事務局

黒石寺蘇民祭(こくせいじそみんさい)

炎と裸の男の祭「黒石寺蘇民祭」
炎と裸の男の祭「黒石寺蘇民祭」

「蘇民祭」とは、岩手県を中心に各地にある裸祭です。特に、奥州の黒石寺で毎年旧正月に行われる「蘇民祭」は、国指定重要無形民俗文化財に登録されている岩手の蘇民祭の中でも有名なものとなっています。

黒石寺で行われる蘇民祭は、裸の男と炎の祭とし、全裸に下帯のみの男衆が、災厄を払い五穀豊穣を願う裸参りに始まり、柴燈木登、別当登、鬼子登と夜を徹して行われます。祭のクライマックスは、福物の小間木を配った後の「蘇民袋」の争奪戦。厳寒をものともせず裸の男達のエネルギーが激しくぶつかり合います。奪い取った者が、東西どちらに向かい、凱歌を挙げるかによって、その年の豊作を占います。1000年以上続く、神聖な祭礼です。

蘇民祭の由来は、『備後国風土記』の逸文によると「北海より南方に旅をしていた武塔神が人間に化身し、貧しい蘇民将来(そみんしょうらい)と裕福な巨丹(こたん)という2人の兄弟に一夜の宿を求めたところ巨丹はこれを拒み、蘇民将来は快く旅人を泊め貧しいながらも粟飯で精一杯もてなした。それから数年後、妻を娶り子を為した蘇民将来の所に再び武塔の神が現れ、自分の正体が建速須佐之男命であることを明かすと共に茅の茎で作った輪を身に付け『我は蘇民将来の子孫である』と唱えれば無病息災が約束されるであろうと告げた」とされ、この逸話を基に平安時代中期には蘇民祭の原形が出来上がっていたのではないかと考えられています。


【黒石寺蘇民祭データ】
会期と会場
旧正月7日~翌日早暁まで
黒石寺
問い合わせ先
黒石寺 岩手県奥州市水沢区黒石町字山内17
岩手県奥州市観光サブサイト