日本三大曳山祭


日本三大曳山祭

「曳山(ひきやま)」とは、祭の行列に出る山車(だし)のことです。地域によって山車、曳山、山鉾(やまほこ)、山笠、屋台など呼び名はいろいろです。特に「曳山」と言うと、車輪がついたものも多く、巨大なものであったり、華やかな飾りやからくりなどが付けられたりと、祭の見どころになっているところがたくさんあります。ここでは、「日本三大曳山祭」として、京都の「祇園祭」、岐阜の「高山祭」、滋賀の「長浜曳山祭」をご紹介しましょう。

祇園祭(ぎおんまつり)

「日本三大祭」にあげられる京都の「祇園祭」の山鉾巡行は、祭の最大の見どころ。宵山では提灯の灯された山鉾、そして山鉾が勢揃いして都大路を巡行する「山鉾巡行」と、日によって楽しみ方も違います。32基の山鉾は各町内にて作られており、歴史故事を再現したり、稚児人形が乗っていたりといろいろです。
なお、祭の詳細は「京都三大祭」をご覧ください。

【祇園祭データ】
7/1~7/31
八坂神社(京都府京都市東山区祇園町)


高山祭(たかやままつり)

中橋を山車が進む「春の高山祭」
中橋を山車が進む「春の高山祭」

飛騨高山の「高山祭」は、春の「山王祭」と秋の「八幡祭」の2つの祭をさす総称です。「山王祭」は日枝神社の例祭で毎年4月14日・15日に開催されます。「八幡祭」は櫻山八幡宮の例祭で毎年10月9日・10日に開催されます。
最大の見どころである「屋台」は、きらびやかに飾り付けられ、お囃子やからくりなどの奉納がされます。また全ての屋台が揃う「屋台曳き揃え」では、彫刻など工芸品としての屋台装飾を細部まで堪能できます。

動く陽明門とも称される「祭屋台」が春には12台、秋には11台曳き揃えられ、その豪華絢爛な姿を披露してくれます。また、闘鶏楽や裃姿の警固など伝統の衣装を身にまとい、お囃子や雅楽、獅子舞に先導され祭地域をまわる総勢数百名におよぶ祭行列も必見です。夜になると各屋台はそれぞれ100個にもおよぶ提灯を灯し、艶やかに夜の闇を飾ります。

祭の起源は、はっきりとしていませんが、安土桃山時代の天正年間(16世紀)頃と考えられています。屋台に関しては、享保年間(18世紀)には曳かれていたという記録があります。なお、「高山祭の屋台行事」として、国指定重要無形民俗文化財です。


【高山祭データ】
春の高山祭(日枝神社山王祭)会期と会場
4/14~4/15
飛騨山王宮日枝神社
秋の高山祭(桜山八幡宮の八幡祭)会期と会場
10/9~10/10
桜山八幡宮
問い合わせ先
飛騨山王宮日枝神社 岐阜県高山市城山156
桜山八幡宮 岐阜県高山市桜町178
高山祭(高山市観光課)

長浜曳山祭(ながはまひきやままつり)

動く美術館と呼ばれる長浜の曳山
動く美術館と呼ばれる長浜の曳山

毎年春に行われる「長浜曳山祭」の曳山の特徴は、子供歌舞伎です。絢爛豪華な山車は”動く美術館”ともいわれ、そのクライマックスを彩るのが「子供歌舞伎」。舞台がしつらえられた曳山で5歳から12歳くらいの男の子が衣装に身を包み、大人顔負けの熱演で歌舞伎を演じます。子供の名演技に、見物客の拍手喝采が絶えません。さらに、「シャギリ」と呼ばれる囃子が曳山の周りで演奏され、賑やかに、人々の心を浮き立たせます。

子ども歌舞伎は、13日の夜、14日の午前中、15日と16日は終日にわたって演じられます。また、子ども役者が演じる人物になりきって練り歩く14日の「役者夕渡り」も見ものです。さらに、15日の夜に御旅所に提灯を灯した4台の曳山が勢ぞろいする光景は幻想的で、クライマックスには神輿が担がれます。

長浜八幡宮は、京の石清水八幡宮を分霊して1000年近く前に創建されました。その後の天正年間(16世紀)に羽柴秀吉が長浜城主となり、初めての男の子が生まれたのを喜んだ秀吉が城下の人々に金(きん)を振る舞い、町民がこれをもとに12台の山車を作って八幡宮の祭礼に曳き回したのが始まりといわれています。長浜の発展に伴い、江戸中期から各山組は競って曳山を改造し、装飾に豪華な毛織物を用いるなどの贅を尽くしました。現存する曳山の多くはその頃に作られたものです。
長浜曳山祭は国指定重要無形民俗文化財となっています。


【長浜曳山祭(長浜八幡宮春季例祭)データ】
会期と会場
4/13~4/16
長浜八幡宮(八幡宮~市街地一帯)
問い合わせ先
長浜八幡宮 滋賀県長浜市宮前13-55
長浜曳山文化協会(長浜市曳山博物館)