紀州三大祭


紀州三大祭

江戸時代、徳川御三家の一つ、紀州徳川家のあった和歌山では、武勇でしられる紀州らしい勇壮な祭が現代に残されています。中でも「和歌祭」「粉河祭」「田辺祭」は、「紀州三大祭」として、紀州の伝統を伝え、多くの観光客を集めています。

和歌祭(わかまつり)

和歌祭(東照宮祭礼)の神輿
和歌祭(東照宮祭礼)の神輿

江戸時代から紀州第一の祭と言われた紀州東照宮の「和歌祭」は、毎年5月に開催されます。別名、紀州の国祭や権現祭とも呼ばれ、紀州東照宮の創建当初から紀州徳川家が中心となって行われてきました。

行事の中心は、神輿渡御(みこしおろし)。白装束の男たちが神輿を担ぎ、108段もの石段を下る様は迫力満点です。かつては陸上だけではなく、海上にまで神輿が渡っていたと伝えられています。
その後、「渡御行列」が紀州東照宮を出発して和歌浦周辺を練り歩きます。この渡御行列は、宮司や力士・奉行・薙刀振り・鎧武者の他、舞姫に太鼓や笛などの「雑賀踊り(さいかおどり)」など全部で41の種目に分かれ、順番に歩きます。古式ゆかしく、紀州の武勇や心意気を表現したものとなっています。歩くコースも、和歌浦湾で捕れる新鮮な魚介類や水産加工品を直販価格で購入できるおっとっと広場、万葉集にも詠まれている片男波公園、古くから和歌の神様として多くの万葉人の信仰を集めてきた玉津島神社など名所ばかりです。

和歌祭と呼ばれているのは、東照宮のある山を和歌山(わかさん)といい、一山をあげてのお祭りということで和歌祭と呼ばれたとか、江戸時代に東照宮を口にするのは恐れ多いということで「和歌の御宮」と言い習わされていたことから、和歌祭(わかまつり)と呼ばれるようになった、などの説があるそうです。


【和歌祭データ】
会期と会場
5月第2日曜日
紀州東照宮(神輿渡御は和歌浦を巡行)
問い合わせ先
紀州東照宮 和歌山県和歌山市和歌浦西2-1-20
和歌祭公式サイト


粉河祭(こかわまつり)

きらびやかに灯される宵祭の楽車(だんじり)
きらびやかに灯される宵祭の楽車(だんじり)

毎年7月に行われる「粉河祭」は、勇壮な楽車(だんじり)や古式ゆかしい武者姿・獅子舞の行列など、見どころが満載です。前日が宵祭として夜空に楽車が灯り、翌日は、門前町の雰囲気を残す通りを進む楽車をじっくりと見ることができるのも魅力です。この渡御式は県の無形民俗文化財に指定されています。

祭は、粉河産土神社の祭礼で、文禄2年(1593)起源と伝えられています。しかし、もともと神社は宝亀年間(8世紀)に粉河寺が創建されるとき、各村の氏神を勧請したもので、地元の厚い信仰を集めてきました。そのため、地元の祭礼としては、さらに古い時代から行われていたと考えられています。

【粉河祭データ】
会期と会場
7月最終土・日曜日
粉河産土神社~粉河とんまか通り周辺
主な行事
土曜日 19:00~23:00〈宵祭〉
日曜日 14:00~17:00〈本祭〉
問い合わせ先
粉河祭保存会(紀の川市商工観光課
粉河産土神社(粉河寺内) 和歌山県紀の川市粉河2787

田辺祭(たなべまつり)

歴史上の人物が飾られる笠鉾
歴史上の人物が飾られる笠鉾

田辺祭のある闘鶏神社は熊野街道にあり、創建は1500年前と伝えられています。熊野信仰が盛んであった江戸時代には、田辺も大いに栄え、現在でも田辺祭は熊野随一を誇っています。見どころは笠鉾の曳行。中でも、橋の上を通る行列は、川面に提灯が映え、田辺の夏の風物詩となっています。

慶長年間(17世紀初期)に始まったと考えられる祭は、寛文年間(17世紀中期)には現在の笠鉾の原型ができあがっていたようです。

【田辺祭(闘鶏神社例大祭)データ】
会期と会場
7/24~7/25
闘鶏神社(笠鉾曳行経路は毎年変更)
主な行事
7/24〈宵宮〉
7/25〈本祭〉
問い合わせ先
田辺笠鉾協賛会(田辺観光協会)
闘鶏神社 和歌山県田辺市湊655