日本三大奇祭の異説 その2


日本三大奇祭の異説 その2

前項までに「日本三大奇祭」「日本三大奇祭の異説 その1」として、「なまはげ柴灯祭」「御柱祭」「吉田の火祭」など6つの奇祭をご紹介しました。ここではさらに異説としてご紹介します。

吉良川の御田祭(きらがわのおんたまつり)

古式の伝統芸能が奉納される「御田祭」
古式の伝統芸能が奉納される「御田祭」

2年に一度、高知の御田八幡宮で催される「吉良川の御田祭」は、天下泰平・五穀豊穣を祈念し、古典的な舞などの芸能を奉納する祭です。

早朝から昼ごろにかけて、ヨッピンピーロと囃(はや)しながら、主な神社を巡り踊る”練り”でのビンサララという楽器は高知県唯一のもの。
昼ごろから拝殿を舞台として田打ちから収穫までの田楽能が演じられます。演目は、女猿楽、三番神、翁、牛、田打ち、えぶり指(さし)、田植、酒しぼり、田刈、小林、魚釣り、地堅めなどです。各演目の合間ごとに殿と冠者とが登場し、面白おかしく次の演目名を触れていく演出には、古い狂言の要素があります。
また、酒しぼりでは杜氏婆(とうじば)の産んだ神の子の木偶(でく)を、子宝に恵まれない女性たちが奪いあうことから、子授け信仰としても知られています。

鎌倉幕府を開いた源頼朝がはじめさせたと伝えられており、国指定重要無形民俗文化財となっています。芸能、地謡、服装、仮面、いずれも古いものであり、その歴史は1000年近く、日本の芸能文化史を見る上でも重要です。


【吉良川の御田祭(御田八幡宮春祭)データ】
会期と会場
5/3[西暦奇数年]
御田八幡宮(お練りは、吉良川の海岸および町内各地)
問い合わせ先
御田八幡宮 高知県室戸市吉良川町甲2413


鍋冠祭(なべかんむりまつり)

80年近い前の鍋冠乙女の様子は今も変わらない
80年近い前の鍋冠乙女の様子は今も変わらない

「鍋冠祭」は、数えで8歳の少女8人が、緑の狩衣(かりぎぬ)に緋の袴を着て黒い張り子の鍋と釜それぞれ4つづつを冠って本殿まで練り歩く祭礼です。行列は他に、獅子や太鼓山(曳山)など総勢300人近くとなり、華やかで雅な様子を見せます。

まさに平安絵巻のような光景ですが、実際に平安貴族にもこの祭礼は知られていたようで、『伊勢物語』には、「筑摩の祭」として歌われています。また「延喜式」にも大膳職御厨(みくりや=神饌を調進するための領地)のおかれたところと書かれています。
その起因については諸説あり、筑摩神社の祭神が食物の神であったことや、当地の御厨(みくりや)から神前に作物、魚介類などを供えるとともに、特産であった鍋を贖物(あがもの、しょくぶつ:罪のあがないとして出す物)としたことが、鍋冠まつりの原初の姿ではないかと考えられています。

1200年の歴史があるとされており、米原市無形民俗文化財に指定されています。


【鍋冠祭(筑摩神社春の大祭)データ】
会期と会場
5/3
筑摩神社(お練りは、御旅所~神社の約1km)
問い合わせ先
筑摩神社 滋賀県坂田郡米原町朝妻筑摩1987
鍋冠祭保存会ホームページ

裸押合大祭(はだかおしあいたいさい)

迫力ある押し合いが特徴の「裸押合大祭」
迫力ある押し合いが特徴の「裸押合大祭」

豪雪地帯の南魚沼で毎年3月3日(令和3年より3月第1土曜日に変更)、普光寺で行われるのが「裸押合祭」です。除災招福を願い、御利益のお札を裸の男衆が奪い合います。一般の人(男性のみ)も参加できるため、全国から多くの人が参加できることも魅力です。

上半身裸の男衆が「サンヨー、サンヨ!」の掛け声と共に押合い、一段高い所に祀ってある毘沙門天を誰よりも早く、近くで参拝しようと押し合う様は圧巻。また、重さ約30kgの大ローソクを使用する事から「大ローソク祭り」とも言われています。

そもそも祭礼は、平安時代の名高い武将・坂上田村麿が遠征した際、御堂を建立したことに起源すると言われています。年々参拝者は増え、年一回正月三日に毘沙門堂の唐戸を開き、ご本尊様の暖簾を上げ御開帳される際には、我先に毘沙門天を拝もうと多くの民衆が集まり押合い始めたのがきっかけです。それがやがて現在に残る祭へとつながっていきました。
平成16年に文化庁より「記録作成等の措置をすべき無形の民族文化財」に選定され、約1200年の歴史を持つ祭となっています。


【裸押合大祭(筑摩神社春の大祭)データ】
会期と会場
3月第1土曜日(前夜祭あり)
普光寺境内毘沙門堂
問い合わせ先
普光寺 新潟県南魚沼市浦佐2495
南魚沼市・大和観光協会